人間ドラマとしてのアクロイド殺人事件

私が一番好きなアガサ作品は「アクロイド殺人事件」だ。

何故か?

アンフェアかフェアかという論争が起こっているが、そういう意味合いでもない。
しかもで、ある。その犯人像に疑いを掛ける声まで上がっているからでもない。

推理小説に人間ドラマ、バッドエンドという概念を導入したからだ。

ただ、語り手であり今作におけるポアロの助手でもあるシェパード医師が犯人だった!という終わり方をしたわけではない。

あのポアロですらも深く考えさせられたからだ。

なぜか?ネタバレは嫌だ!という人は戻るを押してほしい。

あらすじ(ネタバレ・解説あり)

  • その『なぜか?』を教える前にその前にあらすじをネタバレと解説込みで説明しよう。

ある日、とある村の大富豪、ロジャー・アクロイドが何者かに殺された。

その村にいた数多くの人々が推測するが、結局誰もわからずじまい…。

だがそこにエルキュール・ポアロという探偵が現れ、事件は急展開を迎える。

そして。ポアロが突き止めた犯人の正体は、ロジャー・アクロイドのかかりつけ医師、ジェームズ・シェパードだった。

彼は犯人探しに犯人自らが協力するという驚異のトリックと読者に自分が犯人であると悟らせない上に読者に自分自身の推理を疑わせる手記の書き方(いや、我々からしてみたら語り方?)という、天才的な才能を我々に見せつけたが、

公正な目を持つ第三者には敵わなかったのであった…。

…とまあ、比較的シンプルな内容である。

なぜ、そんな作品がなぜ今も人気が高いのか?

それは単純明白な推理小説でありながら、その容疑者たちに見え隠れする一枚岩ではない人間模様、

そして、犯人を捕まえるべきなのか、そして、被害者は殺されるべきなのか?それを本格的に読者に問わせた傑作だからである。

トリックや犯人像や解決の糸口や犯人の決め手(一言で言うなら、当時の録音機の欠点である大きさだが、便利なものの予期せぬ欠点が犯人の決め手となるという点は今に通ずるだろう)も今でこそベタベタだが、

その犯人であるジェームズ・シェパードには

「このトリックは完璧だ!絶対に見破れはしない!」という確信を

持って行っている節があり、

推理に全く関係ないように見える麻雀(発売当時イギリスで流行した)のシーンにも人間模様やこの物語の犯人像などなどを巧みに描写している。

(麻雀をかなりやりこんでいて役満を上がれる上にみんなの打ち筋把握しているんだから、もうここでこいつが犯人だと気づいてもいいんじゃね?という意味もあり、絶対に読み過ごせない重要なシーンでもある)

そう考えれば、ポアロが深く考えてしまうのも納得がいくだろう。

そして最後に犯人のジェームズ・シェパード医師自らが命を絶って真相を闇の中に落とすというバッドエンドで締めくくっている。
(その方法に関しては、自分の目で確かめてみてほしい。きっとそういうことだったんだと納得がいくと思うから)

そういう点は事件が解決しないまま終わるという終わり方にも似ているだろう。

この記事を読んでから「アクロイド殺人事件」を読むと、また新たな発見があるかも知れない。

これは推理小説=勧善懲悪というイメージに待ったをかけた小説であり、単純な推理小説をミステリーに変えた小説でもある。

これ以降のアガサは容疑者同士の人間模様を描くようになり、そうして生まれたのが「オリエント急行殺人事件」である。

容疑者同士と被害者の人間模様と殺人者になりたくない集団意識が重なった時、どのような殺人事件が起こるのか?その答えはそれを読んで確かめてみてほしい。

また、同じ作者の「そして誰もいなくなった」もおすすめである。今作のみどころは秀逸なトリック、そして、筆者ですらもあっぱれと言わしめる犯人像、そして、やはり人間模様である。

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